その決断は遅すぎたのか?

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その決断は遅すぎたのか?

From:海東和貴
井の頭公園横のスタバより

その日の朝は、1通のメールから始まりました。

先日、第二子(長男・5際)の運動会の当日。
前日から天気が悪く、当日の予報もあまり良くない雰囲気。
(それでも、私は晴れを確信していました。)

朝、幼稚園からのメール。
予報は芳しくないけれど、
今は降っていないので、
できれば子ども達の頑張りをみんなで応援したい。
予定通り集合してください、と。

完全に雨天プログラムとなると、
学年別の集合となり、
他の年代の競技や演技はみることができません。

現地に着くと、雨は振っていませんでした。
ただ、開会式の数分前から降り始めましたのです。
ぱらぱらと。

教員とも
「どしゃっと降ってくれれば、諦めも着くんだけどね・・・」
と会話。

しかし、雨はそのまま止まず
園長は苦渋の決断をします。

「学年別の雨天プログラムに切り替えます。」

雨天プログラムは、体育館で最年少、年少、年中、年長が
それぞれ別に運動会を開催することを指します。
全学年の保護者が、体育館には入りきらないためです。

対象以外の学年の保護者は、各所で待機。
長男が年長の我々も、適宜、待機をしていました。

2時間後、最年少と年少の競技が終わり、彼らは解散。
窓の外をみると、晴れていました。

晴れたので、年中と年長は合同で校庭にて開催することが決定。
長男は、笑顔。
おかげで、幼稚園最後の運動会を無事にみんなで
見守ることができました。

さて。
この話には、どんな示唆があるのか。

経営的見地からすれば「決断は早く」だったり、
教員の判断が遅い、といったものもあるかもしれません。

ただ、私はノーベル経済学賞を受賞した
アマルティア・センの言葉を思い出しました。

「インドはなぜ貧しいのか」という疑問から、
経済学者となる決心をしたと言われる人物です。

「貧困とは、将来の選択肢が少ないこと。」
という彼の言葉。

1994年、アメリカ経済学会会長。
ベンガルで生まれ、幼少期に200万人を超える餓死者を出した1943年、
彼は「ベンガル大飢饉」で自身が通学する小学校に
飢餓で狂った人が入り込み、深い衝撃を受けます。
同じ頃、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい抗争で、
多数の死者が出た様も目の当たりにもしています。

「人は、(1)どのような状態でいられるか(being)と、
(2)どのようなことができるか(doing)の集合体。
その選択の幅が狭いほど、人は貧しい。」

つまりは、人は多くの選択肢を持つほどに
豊かになる可能性を秘めるということ。

幼稚園の運動会に際しても、選択肢を残し続けたから、
幼稚園での運動会が残り少ない年中組と年長組は、
屋外で運動会をすることができました。

朝一番の時点で
「今日は予報が雨なので、雨天プログラムで開催します」
となっていたら、各学年、
集合がバラバラになっていました。
年中と年長が合同で、
というのは実現できなくなっていたので、
一緒にやる競技などは、
流れてしまったことになります。

もちろん、会社経営にとって
決断は早い方が良いです。

一方で、選択肢を多く持つこと。

この見地に立ったとき、
今日の行動にはどのような変化が起こりますか??

考えてみたら面白いかな、と思いました。

 

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