全ては面白いものの見方である。
From:海東和貴
ザ・プリンス パークタワー東京の客室より
正義は勝つ、という言葉があります。
ただ、これは歴史的な視点で考えると語弊があって、
厳密には「勝ったから正義」なのです。
歴史上、いくつも侵略戦争がありました。
基本的には“勝った方”がそれまでの歴史を語ります。
すぐには“負けた方”の言い分を覆すことはできないかもしれませんが、
時間の流れが徐々にそれらを押し流していきます。
と、ここで戦争談義をしたいわけではなくて、
あくまでこれは、枕詞です。
ドラマ『HERO』で木村拓哉さん演じる久利生公平の台詞に、
こういうものがあります。
* * *
いま正義って言いましたけど、正義は一つじゃないんです。
僕たち検事は悪人を絶対に許さないという正義があります。
そして、弁護人には依頼主を守るという正義がある。
そして、皆さん。裁判員の皆さんには、僕らの主張をよく聴いてもらって、
法と良心に基づいた公平な判決を下すという正義があります。
みんな、それぞれの正義を信じて、
それぞれの立場から被告人に光を当てることによって
真実を浮かび上がらせていく。それが裁判なんです。
* * *
ここからが、今回の記事の本題。
つまり、みんなそれぞれに言い分があり、
・それぞれが立っている場所
・それぞれが掛けている眼鏡
によって、全く“見方”が異なるということなんです。
自分自身が主張していることこそが正義のような気がしますが、
歴史に学んでも分かるように、正義は無数にあります。
自分自身が主張していることは正義かもしれませんが、
自分自身が主張していること“だけ”が正義ではないのです。
アクセスバーズというヒーリング技法があります。
その技術者から聴いた話です。その施術の土台には、
“Point of You” という価値観があるといいます。
つまりは、
「全ては面白いものの見方である。」
という考え方。
自分の主張も、あの人の主張も、
誰かの主張も、ライバルの主張も、
結局のところは、
“ものの見方のひとつ”であり、
「全ては面白いものの見方である。」
というところに帰着する、という考え方。
私自身、この話を聴いて腑に落ちるところがありました。
私は、人が風邪を引こうが、怪我をしようが、
あまり“同情”をしないんんです。
(かわいそうだなあ)という気持ちが起きない。
じゃあ、どんな感情が起きるかと言えば
(大変だなあ)という気持ちです。
“冷たい”と言われればそれまでですが、
実際、そうでもないんです。
何か自分と違うもの、一見すると対立するものと出会ったとき、
(意見が違う人、自分と状態が違う人、自分と属性が違う人)
“同情”も“同調”もしなくてもいいと思っています。
じゃあ、何が必要かと言えば“共感”。
・あの人は、ああいう状態なのか。
・あの人は、そういう立ち位置から物事をみているのか。
・あの人は、こういう色の眼鏡をかけてものをみているのか。
と、一旦相手の存在と立場を認めることが“共感”です。
別にそれに対して、同情も同調もしなくていいんです。
一度、共感をもって応じれば、
おかしな感情に支配されて、
人間関係までおかしくするリスクが減ります。
「全ては面白いものの見方である。」
同情も同調も必要ない。
まずは、共感をするだけでいい。
この原点に立ったとき、
あなたが築く人間関係にどんな変化が表れますか?
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