人材を強化したい
“ハゲ”とは在り方である
From:海東和貴
丸の内のオフィスより
「自分は知っている」けれど
「他人は知らない」ことを開示することで、
相手との距離を近づける可能性がある、
という記事を以前に書きました。
今回は、少し違った切り口で
この「ジョハリの窓」を使ってみます。
よく、人から褒められたり、
何かネガティブな外見的特徴を言われたときに、
「いやいや」と否定してしまう人がいます。
かく言う私もそのひとり。
今でも無意識でやってしまうことがあります。
人から褒められたときに、
それを素直に受け止めることができずに
「いやいや・・・」と恐縮してしまうこともあります。
また、私には眼球振盪(がんきゅうしんとう)という
先天的な疾患があります。
私はとんでもない難産の末に産まれたようで、
その最中にそのような症状が宿ってしまったようですが、
さておき、人からそのことを指摘されると
ついつい耳を塞ぎたくなってしまう自分がいました。
今でも人から言われると気にはなりますが、
前よりはさらりと受け止めて流せるようになりました。
このことは即ち「ジョハリの窓」で言えば
「盲点の窓」とも言えます。他人は知っているけど、
自分は知らない(目を背けたい)という領域に
無理矢理押し込んでいるとも言えるような気がするのです。
例えば、頭髪的なコンプレックスを抱えている人がいます。
私の場合、祖父が2人とも禿げていましたので、
何かしらの科学的医学的な進歩の恩恵を受けないでいれば、
きっと私も将来的に禿げるはずで、
割と身に迫ったものではあるのですが、
一方で私は「禿げていること」そのものには、
格好悪さを感じません。
渡辺謙さん、高橋克実さん、小日向文世さん、
モト冬樹さん、ブルース・ウィリスさん。
別に格好が悪いとは思いません。
禿げが格好悪いのは、その「見た目」ではなく
「在り方」の部分にあると思っています。
(ちなみに、私自らが禿げてきた場合には、
完全に剃ろう、と思っています。)
頭髪が薄いことから、引け目を感じたり、
意固地になったり、そうである自分を
認められない状態を周囲に発散することこそが、
「在り方」として恰好良くないのではないかな、と思うのです。
人から褒められたら、謙遜せずに一旦は受け止める。
人から身体的なネガティブな特徴を指摘されたら、
はねつけずに一旦は受け止める。
自分が目を背けたって、
相手からはそのように見えているわけですから、
無理矢理に目を背けようとしたところで、
それは「盲点」になるだけです。
相手からは依然としてそのように見えています。
相手から何を言われても「いやいや!」と
それを否定するのではなくて、
一旦は「なるほど、そう見えているのか」と受け止めて、
その上で、自分は自分をどう見せたいのか、
改めてデザインし直せば良いと思うのです。
蛇足ですが、人から褒められたときに謙遜しすぎて
「いやいや、私なんて」と応えてしまうと、
相手の「あなたの良い部分を見つけてくれたセンス」を
否定することに繋がってしまいます。
少し前の日本の文化とは流れが変わってきていますから、
素直に「あ、本当ですか。ありがとうございます。嬉しいです。」
と受け止めてしまう方が、“在り方”としても恰好良いのではないかと思います。
– 海東
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